忠犬アス公の心の中

日々思ったことや、やったこと、

私はずっと「迷い」の中にいて、それでも今生きている。辿り着いた「決断」の中で今もまだ探してる。

いざ書こうと思うとどこからどこまで書けばいいのか…。

 

15歳の時、何か色んな事がどうでも良くなって家を飛び出した。

おそらく私を縛るもの全てが嫌になっていたんだろう。

その時は迷いは無かった。

ただただ先のことなんて何も考えていなかった。

本当に子供だったなと今でも思う。

高校を辞め、お金も持たず実家を飛び出し、

当時付き合っていた彼氏といっしょに住み始めた。

朝から晩までバイトをし、生活費を稼ぐ日々。

彼と一緒に居れる事が全てだった。

そんな彼とは色々ありながらも5年は続いた。

 

が、別れは突然静かに訪れた。

彼はやはり浮気をしていた。

浮気はしょっちゅうだった。

それでも最後には私のところに戻ってくるから、その時も戻ってくると思っていた。

甘かった。

最後の浮気は、彼を私から奪っていった。

二度と帰ってくることは無かった。

そうして私の5年間はいとも簡単に終わってしまった。

彼と一緒にいたいが為、学校も辞め、

親や兄弟とも疎遠になっていた。

 

 

そんな私は寂しさを紛らわす為、ただただずっと働き続けていた。

当時は朝から夕方まで飲食店、

その後は夜ラウンジで働き、

休みの日は派遣の仕事もしていた。

寝る時間など毎日1〜2時間がいいところ。

 

当時20歳の私は何もなかった。

新しい彼氏が出来ても中々続かず、

仕事もただただこなしていた。

仕事にプライドなんて無かった。

 

そんなこんなで22歳の時、真面目そうな彼と出会ってしまった。

それが悪い意味での人生の転機だった。

 

彼の子供ができた。

当時何も無かった私は子供とゆう宝物をとてもとても愛しく感じた。

だが。彼の事は強く思えなかった私。

それでも迷いの中で、愛しい小さな命を守りたいと思った。

難産の末、この世に生を受けた愛しい小さな我が子は可愛い可愛い男の子だった。

この子のために生きようと強く思った。

だが。

息子が3歳になった時だった。

義父とはあまりうまくいっていなかった。

息子の事は異常なくらい可愛がってくれてはいた。

 

しかし、ある日の夜。

(こうして書くのも思い出しただけで震えてくる。)

毎晩のように飲み歩いていた義父から

「酔っ払って1人で帰れない」と私に深夜電話がくる。

旦那では無く私に。

仕方なく迎えに行く私。

 

そこで事件は起きた。

 

迎えに行き、義父を家に送り届けた。

正直細かいことはあまり覚えていない。

 

私は、襲われた。

 

義父は酒が入っていた。

私は怖くてただただ抵抗した。

だが力では敵わず義父から性的暴行を受けてしまった。

ある意味、私の本当の迷いの始まりだ。

 

義父から暴行を受けた私は旦那に相談した。

彼から帰ってきた言葉はとても悲しい残念な言葉だった。

 

「あぁ、うちの親父ならやりかねないね」

「お前が油断してたんじゃない?」

この二言は一生忘れられない。

この瞬間から、私は旦那の事が心底信頼できなくなった。

真面目で優しい人だと思っていた。

 

自分の親にも相談なんて出来なかった。

離婚も考えていた。

しかしまだ小さな子供の為、離婚は避けなきゃ。

そう思って過ごしていた。

 

あの日の事を心に鍵をかけて考えないように…考えないようにしながら1年が経った。

私の心は壊れる寸前だった。

いや、ほぼ壊れていたのかもしれない。

 

1年で痩せこけてしまっていた。

久しぶりに会う実母が心配して何かあったのかと問い詰めるかの如く聞いてくる。

おそらく限界だったのだろう。

全てを母に話した。

母は私と息子を実家に引き取った。

 

しかし、旦那はそれを許さない。

毎日のように電話やらメールやら沢山してくる。

多い日は1日中携帯は鳴りっぱなしだ。

私は旦那を怖く感じていた。

あの義父の息子。

私を庇う事もなく淡々と言い放ったあの二言。

そして、離婚への迷いが無くなり恐る恐る旦那に離婚したい皆を伝えた。

 

しかし、旦那はそれを許さない。

話し合いでもどうにもならず、

離婚調停を4回した。

私は弁護士をつけていた。

旦那は弁護士は雇わなかった。

おかげでずっと平行線。

結局離婚する事は叶わず、今も別居が続いている。

 

ある日、息子を保育園に迎えに行くと…。

息子はいなかった。

旦那が勝手に退園させていた。

そして息子とは離れてしまうことになる。

愛しくて仕方ないはずの我が子ではあったが、なぜか無理矢理離されたのにも関わらず少しホッとしてしまった自分がいた。

それがとても悲しくて、心底自分が嫌になった。

そして私には何も無くなった。

 

それから私は鬱病とPDSD(https://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_ptsd.html)を患った。

ずっと我慢していたものが全て限界になったのだろうと医者は言った。

今もまだ時々フラッシュバックのようなものが起こる。

あの時の私はどうかしていたんだろう。

あんなに愛しい我が子が居なくなったのに、

私は自分の事しか考えられなくなっていた。

 

ただただ全てが怖いと感じてしまい、外に出るのも、家族以外と話をするのも出来なくなっていた。

 

全てが怖くなり信用できず、我が子も側にいない。

 

しかしあれから何年か経ち、なんとか社会復帰は出来、それなりに浅くだが人とも付き合えるようになっていた。

時間とは1番の薬なのだろう。

子供に会えない寂しさや、離婚が未だに出来ない歯がゆさは残るものの、

大切な人が出来た。

 

長い間、心の中が空っぽだった私に光が差したような気がした。

迷いながら悩みながら、真っ暗なトンネルを歩き続けていた私に光が見えたような気持ちだった。

その人は今まで出会ったどんな人よりも優しく、ダメな私を包んでくれる。

今までのダメな自分を許してくれる。

そんな光のような人だ。

 

こんなややこしい人生を歩んできた迷いだらけの私だけど、

これからこの人の為に生きていこう。

この人の側に居続けよう。

 

心の底からそう思える人に出会えた。

 

色んな事があって色んな人との出会いがあったけど、今の自分はこの人と出会うために生きてきたんだ。

そう思えるくらいの出会いだった。

 

人生は長く、まだまだ辛い事や苦労も山のように訪れるだろう。

それでも迷いの中、私はひとつの決断をした。

 

これから先、何があっても、

私を包んでくれるこの人の側にいたい。

この先どうなるのかわからないけど、もう後悔はしたくない。

 

子供の事、相手の事、考えなければいけない事、まだまだ問題は山積みだ。

それでも今この手にある小さくて大きな幸せを

絶対に離したくない、離さない。

そう決断した。

 

私はずっと「迷い」の中にいて、それでも今生きている。辿り着いた「決断」の中で今もまだ答えを探してる。